「自分で考えない」人の罪
先日の科学信仰の話の続きみたいなもんですけど、それって結局「自分で考えない」人たちが起こしがちなんじゃないかなって。
若さとか経験不足とかいう理由もなくはないですけど、それもまた考えるための材料が足りてない状態とも言えますし。
ネットの情報は怪しいところもかなりありますが、「学者」が言ってたこと、論文あたりが情報源だと無条件に正しい情報だと思ってしまうのは、わからなくもないんですけれど。
ただ、前の記事でも言ったように、学者さんごとに言ってることが違ったり、数年ごとに新しい説が出てきてそれまでの説がひっくり返るなんてことは往々にしてあるのが科学なんです。
今の時代、インターネットで検索するだけで情報が無駄にあふれているんですよね。だから一般人がそういう情報を仕入れやすくなっているのですが、〇〇が言ってたから、書いていたからと言って、それを鵜呑みにしてしまうのはいつの時代も危険なのです。
情報が溢れている時代だからこそ、自分で考えることが必要だと思います。
情報や知識だけ詰め込んで頭でっかちになって、自分で考えることのできない人を頭がいいとは言わないと思います。
前のやる気の例でいうなら、科学的にはやる気というのは存在しないものである、というのは学者が言っていた(ネットに載っていた)情報です。
それを鵜呑みにしてしまうと、「やる気なんてもんは科学的には存在しないんだ!だから『やる気を出せ』っていうのはパワハラだぞ!」というハラハラを起こしかねないわけです。
「科学的にはやる気は存在しない」という情報を受けて、そこから「じゃあやる気がないという状態を打破するためにはどうしたらいいのか?自分の場合は?他人の場合は?」とか「『やる気を出せ』と言われないためにどうしたらいい?言われたらどうすればいい?」などと考えられるようにするのが、まぁ言ってしまえばまともな思考だということです。
昨今のSNSで起こる「炎上」というやつの中には、こういった「自分で考えない」人たちが存在するのが原因じゃないかと思ってしまうのです。
確かに、文字だけの情報って難しいんですよ。その奥にある意志というか本意みたいなのが見えないことも多いし、必ずしも全ての情報発信者が文章が上手いわけではないですし。
だから自分の都合のいいように解釈してしまって、発信者が本当の意図や背景にある事情を無視して攻撃してしまったりするんだと思うんです。
それも怒る前に「なんでこの人はこんな事言うのか?どういう事情があるのか?どういう意味で言ってるのか?」を一旦考える必要があると思うんですよね。
まぁ、深読みしすぎてありもしない陰謀論や都市伝説みたいなのが生まれたりもしますけど・・・(汗)。
なんかすごく偉そうに書きましたけど、前の記事と合わせて、自戒の意味も込めて書き残しておこうと思った次第です。