物欲の鬼の独り言

面白いものとか役に立つものとかをいろいろ紹介したい。あとは趣味の話を垂れ流し。雑談のカテゴリーはただの独り言です

やる気と科学信仰

r25.jp

 

仕事のやる気が出ないことって多いですけど、以前どこかで聞いた上記の記事のようなことを急に思い出したので、ちょっと書いてみます。

 

私としては「やる気はとにかく行動を起こさないと出るわけがない」と解釈しました。

冒頭で「やる気」なんてものは科学的には存在しないって言ってますけどね。科学的に存在しなかったら存在しないって言っていいわけでもないと思いますし。

 

やる気が出ない、と言う前にまずとりかかってみろってことですよね。確かにやる気出ないなぁ・・・でもやらなきゃ・・・しょうがない、やるか、このステップを踏んでようやっと作業に取り掛かると、作業し始めてしまえば意外と捗ることも多いですし。

ただ、ほんとに調子悪いときは作業中にああダメだ今日は・・・ってなることもありますけど。

 

行動するのをためらっている状態を「やる気が出ない」って表現してるだけってことですよね。つまり「やる気」を出す方法は「とりあえず(ちょっとでいいから)手を付けてみる」ってことなのかな。

 

 

でも最後の方に書いてある「やる気を出せ」というのはパワハラだ、という論調はいかがなものかと。

いやね、仕事ちゃんとやってんのにそんな事言うんだったらそりゃ立派なパワハラですけど、「ないものを出せって言ってるからパワハラ」はずいぶん乱暴な論だと思うんですよ。

 

科学者だからそうなのかもしれないですけど、一般の人でも「科学的には」って言われちゃうとそうなんだ~って信用しちゃう傾向あるじゃないですか。

 

似たような話で、硫黄が腐った卵の臭いっていうと「それは硫化水素だ」って言ってくる人がいるわけです。

そりゃ科学的に言えばそうなんですけど、H2SのSが何故硫黄と呼ばれるようになったかの経緯を知ってれば、硫黄でも別になんらおかしくはないんですよ。

でもなんか「科学的には硫化水素なんだから硫化水素って言わなきゃおかしい!」みたいな勢いで言ってくるんですよね。たしかこれも科学者がツイートしてそれが広まったからそういう風潮になっちゃったんだと思いましたけど。

 

何が言いたいかっていうと、科学的にはない概念だとしても、概念として立派に存在してるんですよ「やる気」って。

だから「ないもの出せはパワハラ」っていうのは屁理屈に似たものがあるんじゃないかって。科学が絶対なの?っていうと私はそうじゃないと思うんですよ。

 

「やる気出せ」って言葉をどういう状況で言われてるのかわからないですけど、仕事してないんだったらしなきゃいけないし、ミスが多すぎるんだったら気をつけなきゃいけないじゃないですか。

それを「ないものを出せって言ってるからパワハラ!」って一蹴しちゃうのはどうなの?って話です。もはやハラスメントハラスメントですよそんなの。

 

まぁこの方は科学者なので、科学的な話をするお仕事なのでいいと思いますし、記事をちょっと面白おかしくするために書いてあるのかもしれないですが、一番問題なのはこういうネット記事を見た一般人が、真に受けて「やる気出せはパワハラ!」って言い出さないかってことです。

最近何でもかんでもパワハラだ何だというハラスメントハラスメントっていうのは、実際に存在してるらしいですしね。

そこに「科学的に正しい」という盾がついちゃうと、手がつけられないですよねぇ。

 

先に述べた硫黄の例のように、おかしくないのに科学的にはこうだからそれは違う!と言われてしまうと、言った方はもちろん、言われた方もそうなんだって思っちゃいがちじゃないですか。

 

科学的(っぽい)説明されると、水素水でも本当に効果があると信じちゃう人もいるわけですし、科学的に正しいからこれが正しい!って考え方は非常に危ないと思うんですよ。

 

私は理系ですけど、いや理系だからこそなのかもしれないですけど、科学を絶対的なものだとはとても思えなくて。

人間が究明できている範囲なんて、数年経つとそれまでの説とは違う新説に変わったりするじゃないですか。じゃあ今までやってきたことは間違いだったのかよ、とも思うわけです。でもそれで訴えを起こすみたいな話は、少なくとも私は聞いたことないです。

学者によって全然違う説を提唱してたりもするんですよ?まだまだあやふやなんですよ科学は。人にわかってる範囲では。

 

 

長々書きましたけど、科学的に存在しないからと言って「やる気が出ない」と表現される現象がなくなるわけではないですし、それを言い訳にするのは正直頭の悪い人のすることだと思うのです。

この説だって数年後には全く違ってたってことになるかもしれないですしね。